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浦和地方裁判所越谷支部 昭和34年(わ)47号 判決 1960年3月22日

被告人 渡部三千郎

昭一〇・一〇・二九生 会社重役

主文

被告人を禁錮六月に処する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、小型乗用自動車の運転資格をもたず、またこの種自動車の運転経験は二、三年前に運転練習をしただけであるにかかわらず、昭和三十三年十一月三日午后八時過勤務先である有限会社鷹羽製作所の代表取締役である河添連に命ぜられるままに南埼玉郡菖蒲町より約六十五粁以上を距てた東京都目黒区大岡山地内まで運転すべく、降雨中しかも一度だけしか通つたことのない道路を飲酒酩酊の上小型乗用自動車五せ六、一六七号を運転して同日午后九時十五分頃、春日部市大字粕壁二、五九三番地先国道を少くとも時速約四十粁位で進行し来り、反対方向より星徳一が運転して進行して来る普通貨物自動車と約三十米位に接近した際、その前照灯等に眩惑されたが、かかる場合、被告人は運転技術が至つて未熟であり、運転技術のいかんによつていかなる事故を発生せしめるかも知れないから、一時道路左端に停車するか、更に減速して左側に避譲すべき注意義務があるのに、これを怠り漫然自己の感にのみ頼り同一速度で道路中央附近を進行し激突寸前にかかわらず、同車と無事擦れ違いを了したものと軽信し、突如把手を右に切るとともにブレーキを踏み誤つた重大な過失により星徳一が予め道路右端に減速して避譲している普通貨物自動車の右前部照灯附近から車体右側、右後輪部附近へ自己の自動車の前部附近を激突させ、自己自動車の蓋屋を剥離大破せしめ、同乗していた河添連(当時六十二年)及び河添正巨(当時三十四年、同会社の取締役)を車体で強打させた上、右連を道路上に投げ出さしめ因つて、右正巨に対し、治療約二週間を要する頭部打撲傷等の傷害を、右連に対し頭蓋内出血の傷害を夫々負わせ、右連をして同月四日午前一時五十分頃、同市大字粕壁六、六一六番地春日部市立病院において死亡するに至らしめたものである。

(証拠)

第一、判示事実中飲酒酩酊していた点は、

一、証人星徳一が当裁判所において、「衝突の際、被告人は酒のにおいがぷんぷんしていた。被告人は衝突直後車から出たときも、早く医師を、というだけで、酒に酔つている感であつた。被告人は、いきなりぶつかつて来たから酒に酔つて居睡り運転をしている感であつた。居睡をしていなければブレーキを踏む筈だと思う。被告人はブレーキをかけたようには見えなかつた。私の受けた感じでは、相当酔つていた。酒のにおいが随分強く感じられたから、ろれつが廻らないようなことも多少あつた。」旨の供述。

一、証人新井常平の当裁判所において(第一回)

「私は、警察官であるが、事故現場から直ちに病院へ行つたとき、医師の話では、どなたも酒を飲んでいるので、出血がひどいといつていた。被告人には、君が運転したのかと聞くとうなづいただけで話はしなかつたが、酒のにおいがあつた。そのときのにおいは、ほんの少しの酒のにおいであれば、病院の薬品の強いにおいに打ち消されるが、被告人の酒のにおいは、私の感じでは相当強いにおいであつた」旨の供述。

一、河添正巨の司法警察員に対する供述調書(昭和三三年一二月五日付)中、「私が日頃から酒に酔つた時には、その場に宿泊するようにと被告人や河添連にも話しておけば、この様な事にならず済んだものと思い、この点を残念に思つている」旨の供述記載。

一、同人の検察官に対する供述調書(昭和三四年二月一九日付)中、「渡部は普段会社の接待等で飲酒する場合はビールを約一ダース位飲む」旨の供述記載。

一、証人江崎瞳生の当公廷における「事故当日、菖蒲町で株式会社鷹羽の菖蒲工場開設記念式の宴会後午後八時半頃、河添連、河添正巨、被告人の三名が東京へ自動車で帰つたが当日酒を飲み初めたのは午後三時半か四時頃である。会社側から六人で外部から二五、六人、酒一五本、ビール一ダース位を全部飲んでしまつた。終つたのは七時頃か八時頃で宴会が終つて十分か十五分後に出発した。被告人は宴会中はずつと招待の客に酒をついで廻つていた。被告人はどの程度か知らないが酒を飲んでいることは飲んでいた。被告人は宴席から五分か十分づつ四、五回抜け出したことがあるかも知れないが私には分らない。被告人に運転させることは心の底では不安に思つていた。」旨の供述。

第二、判示事実中、被告人が少くとも時速約四十粁で事故発生時までそのまま自動車を運転した点は、

一、証人星徳一の当裁判所において、「反対方向から走つて来た被告人の車は、五十粁位の時速だつたと思う。被告人の車は、いきなりぶつかつて来たから、被告人の車はスピードを落したような様子はなく、速度をかえずに進んで来た」旨の供述。

一、証人新井常平の当裁判所において(第一回)

「私が本件事故現場へ着いたときは、怪我人を乗用車で病院へ運んだ後で、見物人も集つていた。その中で、杉戸町方面から来た自動車運転手が、この車はさつき俺を追い抜いて行つた車だといつていた。国道を走る車は遅い車でも四十粁位ですから被告人の車のスピードは相当だつたと思う」旨の供述。

一、司法警察員作成の実況見分調書中の立会人星徳一の「相手の車は時速六十粁位出ていたように感ぜられた。」旨の供述記載。

一、当裁判所の検証によれば「事故現場はコンクリート舗装で幅員九・〇五米凹凸の殆んどない極めて良好な道路で中央線が引かれており、南方約三〇〇米の地点でやや屈曲せるも事故現場を中心に約一粁にわたり直線道路である」ところ立会人星徳一の指示中「私は事故現場より南約一一〇米位手前で現場より北約二百米先方に被告人の自動車を認めたが、事故現場より七五米位手前までは時速約四十粁で進んで来た。被告人の車は、事故現場より北約百五十米前方より私の方からみて多少左よりに大きく蛇行しながら進んでくるので、私は危険を感じ、時速二十粁に落し事故現場より南方二〇米位手前を通過するときは、更に十粁に落した。その頃被告人の車は、事故現場から北四十米余のところにあつたが、私の方からみていくらか右側へ行つたかと思うと私の車が事故現場から一〇米位手前に来たとき斜め右からいきなり私の車の方に切り込んで来たので、私は一〇米位手前で最徐行に移りながら、左にカーブを切つておいて、右へカーブを切つた。これは衝突しても、被害の大きくならないように両車を平行にするようにしたわけである」旨の供述をしているので、算数上は星徳一の車が約一一〇米を一四秒余で進行する間に、被告人の自動車は約二〇〇米を進行しており時速五〇・四粁を超えることとなり、少くとも時速四〇粁は超えること。

第三、判示事実中、判示一時停車又は左側の減速避譲をせず被告人が判示行動をとつた点は、

一、被告人の当公廷における供述。

一、証人星徳一の当裁判所における供述調書。

第四、判示事実中、星徳一運転の自動車の判示避譲及び衝突の情況は、

一、当裁判所のなした検証調書。

一、司法警察員作成の実況見分調書。

一、証人新井常平(第一回)、同星徳一の当裁判所における供述調書。

第五、判示事実中、判示被害者の傷害、致死の点は、

一、医師佐藤信作成の河添連、河添正巨に対する各診断書。

第六、右諸点以外の判示事実は、

一、被告人の当公廷における供述。

を綜合して認める。

(被告人及び弁護人の主張に対する判断)

第一、事実に対する弁疏について。

前示証拠説明により明瞭であるから、別に説示しない。

第二、被告人には、本件行為に際し他に適法行為に出ずる期待可能性がなかつたから、責任は阻却され、無罪であるとの主張に対して。

被告人及び弁護人は、被告人が判示一一月三日夜、南埼玉郡菖蒲町有限会社鷹羽製作所菖蒲工場より判示自動車を運転資格をもたないにかかわらず判示運転をするに至つたのは、同会社の経営権及び人事権等一切を掌握しており、もと陸軍将官で直情径行、積極性に富む純武人型であり、かつ、命令に応じない場合は、嫌悪の念甚しい性格の河添連の強い命令によつてしたもので、かかる場合、もし、これを拒めば、河添連の命令を何事によらず遵奉してきたことにより信用を博し重役待遇たる営業部長にまで昇進した被告人が、反抗的だとして多年の信用を失い、率いて解雇降任等極めて不利な立場に追込まれたであろう。従つて、やむなくその命令に従つて、判示運転をしたものである。このような場合は、無免許運転という違法行為に出でないことを期待し得ないので該行為については責任が阻却され無罪である。そして、本件過失行為は、判示事故現場から北方約二〇米の地点に達した際、反対方面より進んでくる相手方トラックの前照灯に眩惑を感じ、雨天暗夜のため道路の中央線が見えずハンドルを左に切つたがどの程度に左によるべきかが判らず左側の田甫に落ちると思い、かつ、相手方トラックとすれ違いが終つたと感じてハンドルを右に切つたところ、殆んど接触せんばかりになり、停車するためブレーキを踏んだが踏み損じて判示事故を生じたもので、被告人の踏み損じに至るまでの間には、何等の過失はない。過失は右ブレーキの踏み損じという一点にあり、これは、被告人のような運転未熟者が運転すれば、かかる事故が発生するおそれがあるに拘らず、運転をしたこと自体に過失があるか否かによつて責任の有無が判断せらるべきところ、運転をするに至つたのは前述のように、やむなくしたもので、該運転行為については、責任がないのであるから、ひいて本件事故による過失責任も阻却される。もし、仮りに本件事故自体の発生について被告人に過失があり、その責任があるとしても、本件無免許運転行為とは、刑法第五四条第一項前段の想像的競合罪の関係にあるから、無免許運転行為につき責任が阻却される以上、競合一体関係にある過失罪についてもその責任が阻却されるものであると主張する。

よつて以下第一ないし第三に分つて、判断を示すこととする。

第一に、被告人が運転資格を持たないで本件自動車を運転しているが、かかる行為に出でないことを期待し得なかつたか、すなわち無免許運転拒否についての期待可能性がなかつたかどうかについて判断をする。

およそ、ある行為者が現に違法行為をしていても、その行為の代りに他の適法行為に出することを期待できない場合に、果してその行為者の責任が阻却され無罪となるべきか否かについては、学説、判例とも未だ必ずしも一致しないが、確かに、そのような場合には、行為者の責任が阻却せられると考えるのが、正しいと思われる。しかし、これを認めるものであつても、その期待可能性の標準をいづれに求めるべきかについては、これまた必ずしも一致しない。

当裁判所は、その行為以外の他の適法行為を行うことができる可能性が、行為者にとつてなかつただけでなく、行為者の代りに他の平均人がその行為者の立場に立つたとしても、やはり行為者と同様違法の行為に出でざるを得なかつた場合であることを要し、このような場合に限つて行為者の行為が、たとえ違法行為であつても、その責任が阻却されると解するのが相当であると考える。

ところで、右考方に立つて判断するが、先づ、被告人が本件自動車を運転するに至つたときの情況についてである判示一一月三日夜は、証人江崎瞳生の当公廷における証言によれば、同日午后八時頃有限会社鷹羽製作所菖蒲工場の開所式後の宴会を終つた後十分か十五分位後に、同社の代表取締役である河添連が、明朝東京の本社でどんな急用が生ずるかも知れないので、幹部が東京に帰つておらなければならないから河添正巨、被告人とともに東京へ帰るといい出し、泥酔して寝込んでいた河添正巨(本件自動車の本来の運転者)に代つて、被告人に本件自動車の運転を命じたことが認められるが、そのときの状況を、被告人は当公廷で連より飲酒によつて可成荒い言葉使いで、「お前運転しろ」といわれたが「私は免許がないから運転するわけにいかない」と答えると、連は「そんなの構わないから運転して帰れ」「そんなことは、どうでもよいから早くやるんだ、早く運転して行くんだ」といわれ、五分か十分躊躇して立つていると「何をぐずぐずしている。早くせんか」などと三十秒位間をおいて二、三回いわれたので、正巨を車の中に連れ込み、それからも五分か十分位動かなかつたところ「何をぐずぐずしているんだ。早く運転しないか」といわれたので、やむを得ず運転したのである。被告人と連との間とにり交された問答やそのときに採つた態度は右以外には、ないと供述している。そして、この間の経緯を知つているのは、被告人と江崎瞳生と事故によつて死亡した河添連以外にはないと認めているし、証人河添正巨も江崎瞳生が一番よく知つていると供述している。

ところが、証人江崎瞳生の前記証言によれば「被告人はそのとき、困つたなあという否定的態度をとつたが、連は兎に角酔つている正巨を自動車につめというので、被告人と二人で正巨を自動車に連れ込んだ。被告人は自動車の外に立つて入らなかつたが、連が早く入れというので被告人が入つて運転した。被告人は言葉で何といつたかは知らないし、被告人が「運転免許を持たないから運転できない」とか「運転には自信がない」ということをいつておらなかつたし、そのようなことは聞いておらない」旨を供述している。そして証人新井常平が当公廷で、「被告人を警察官として取調べ、被告人の主張を十分にきいたのであるが、被告人は自分の主義主張は、はつきりと述べ、物事をはつきり表現でき、他人の言に盲従するような人ではない」旨を述べており、証人河添正巨も当公廷で、「被告人は、自分に意見があれば、それを述べ、盲従するということはない、積極性のある人間である」旨を述べているし、被告人の当公廷での供述態度をみても、自己の意見は極めて強く述べる性格の持ち主であるところ、このような被告人が司法警察官及び検察官に対する各供述調書においては、被告人が本件自動車で出発当時に際してとつた問答ないし態度については、全然供述していない。また証人河添正巨は当公廷で「父連はもと相当酒を飲むことで有名であつたが年とともに大分弱くなつており、同人は酒を飲めば、いくらか荒くなるが、本件の場合、被告人に無理矢理に命じて大声を上げたというようなことは聞いていない」旨を述べており、証人江崎瞳生も当公廷で「出発時、河添正巨は大部酔つて宿直で寝ていた位であるが、河添連は酒を飲んでいたが、とりみだしたこともなく普通と余り変つていなかつた」旨を述べている。

従つて、被告人の供述を除くこれらの諸事実を綜合して判断すると、当時の状況は河添連が右宴会を終え東京へ帰ろうとしたが、運転者河添正巨が酔いつぶれていたので、たいした考えもなく、被告人に正巨に代つて本件自動車を運転して行けと、二、三の言葉を費して同旨のことを言つたとは認められるが、しかし、それはどうしても被告人をして運転せしめるというような被告人に対する強制的ないし威迫的な命令ではなく、単に相当多量に飲酒後、通常人にまま見受けられるように、語調が多少高まつている程度の言葉に過ぎなかつたし、被告人もこれに対し同人が当公廷で供述するような問答ないし態度に出でたのではなく、僅かに軽い否定的な、少しばかりの躊躇を示す態度をとつたに過ぎず、注意して帰れば大丈夫だろうと軽信して運転を始めたと認めるのが相当である。これに反する被告人の供述は到底措信できない。

次に、右のような場合に、被告人が無免許で運転することを拒否し得たかどうかである。

被告人は、当公廷で「連より休日に命ぜられた仕事を月曜日まで放置しておつたとき、渡部云つた仕事をやつたか幹部がそんな消極的なことで会社がやつて行けるか、辞めてしまえ、といわれた。また、前夜一時頃まで仕事をして朝少し遅くなつたとき(証人河添正巨の供述によれば朝八時頃から仕事を始めるのに被告人が午前七時半頃まで寝ていたときのことをいう)にも辞めろと、二、三回いわれた。未成年者の深夜残業が禁止せられているのに、それは法律にふれると言つた人は、会社のためにならんといつて辞めさされた人が二、三人ある」と述べ、本件の場合「運転を拒否すれば自己の信用を失墜し最悪の場合、会社を辞めねばならないかも知れないと思つた」旨を述べている。

ところで、河添連の性格については、証人河添正巨は当公廷で「父連は今次大戦の終戦時は陸軍中将であつたが終戦後は門司方面で開墾に従事したり、東京に来ては神田で昭和二一年から昭和二七年頃まで雑貨商をやり、その後浅草のかつての、部下のところで寿司屋をやり、昭和二九年から布帛玩具の製造販売を目的とする現在の有限会社鷹羽製作所を資本金二〇万円で始め、その代表取締役となり、同社の実権を掌握して、その経営に従事してきたものであるが、その性格は熱し易く直情径行の軍人タイプで仕事に対しては積極的で正しいと思つたことには後に引かず、自己に服従するものは徹底的に可愛がる反面、命令に従わないものには若干こだわることがあるが、それについても正当な理由があり条理をつくして納得すれば、こだわることはない。また話せばわかり無茶苦茶に何でも怒鳴つて怒るということはなく酒を飲んだからといつても無茶をいつたことはない」旨を供述しており、証人江崎瞳生も当公廷で「連は直情径行というか気が短かく酒を飲むと気合が入るが反面部下を非常に可愛がり、間違つたことでも通すという程のわからずやでなく、道理をいつて正しいことであればきき入れてくれる。唯がんがんいうことはあるが、上手にいえばきき入れてくれる」旨を述べている。

そして、被告人の前記解雇に関する供述については、証人江崎瞳生は、当公廷で「被告人が朝寝坊して連にしかられているのを見たことがあるが、その際辞めろとまでいわれていなかつた。また、連の命令に従わないということで今までに解雇された事実は聞いていない」と述べており証人河添正巨も当公廷で「被告人が朝寝坊したとき、幹部は卒先して仕事をやるべきだと父(連)におこられていた。そのとき辞めろといわれたかどうか分らないがいつたとすれば激励の意味でいつたと思う。連の命令を聞かなくて解雇された人が会社ができて間もない頃に二三人あるが、解雇されるについては相応の理由があつた。なお父は若い人の職場の恋愛を禁じていたが、きかない人の場合は一応忠告してどうしてもきき入れない人に限つて辞めて貰つたことがある」旨を述べている。

また、本件運転拒否に関しては、証人河添正巨は、当公廷で「父連は、本件の場合まさか事故が起るなどとは考えていなかつたから、酒の勢も手伝つて被告人に運転しろということになつたと思うが、本件事故後被告人から聞いたところによると、被告人は当時運転を拒めば、将来に対する不安から首を切られるのではないかと思い怖かつたとは言わなかつた。また、そのとき、はつきり被告人がそう思つたとも考えられない。被告人は、連から命ぜられ、従わなければ折角これまでの地位になつたのに不安になつたと私に言つているが、それは弁解がいくらかあると思う。父連は、被告人が二、三年も前の入社前に自動車の運転練習をしたということは聞いて知つていたが、運転免許をもつていないし、その後も運転するのを一度もみたことなくその運転技術を全然知らず、しかも雨天暗夜にしかも菖蒲から東京都内の自宅まで二時間半ないし三時間もかかるのに、無理に運転を命じる程無茶な人ではなく、普通の性格の人である。単に入社前に運転経験があるというだけで、二、三時間も運転できるとは、当り前では考えられない。本件の場合無免許で東京までは運転できないと拒つても、父連は心から怒ることはないと思う。もし、拒つたときは酒を飲んでいたので、果してそのことを聞き入れたかも知れないし聞き入れなかつたかも知らないが、法律に触れるからと、おとなしく諄々とことわれば、あつさりきき入れるかも知れない。自分が正しいと思うことは聞き入れるので、本件の場合、聞き入れる公算の方が多いと思う」旨を述べている。証人新井常平も当公廷で(第二回)で「被告人は河添連の強い命令で、これを断ると馘になるかも知れないから、やむなく運転したのだとはいつていなかつた」旨を供述している。

従つて、これら以上の諸点を綜合すれば、被告人が当時被告人の自動車運転経験については二、三年前に運転練習をしたに過ぎず運転技術にも自信ないこと、埼玉県菖蒲町から東京都目黒区大岡山までの道順は、たつた一回だけしか通つたに過ぎないこと、その間二時間半ないし三時間を要し、雨の降る暗夜で、しかも交通量頻繁な国道から東京都内に入ること(以上は、被告人の自認するところ)途中屡々行なわれている交通取締に会つた際、運転免許証を持たないので交通違反に問われることがあり困惑すること、菖蒲町から東武鉄道線の久喜町へでも国鉄高崎線の桶川町又は鴻巣町へでも約七、八粁の短距離で、しかも午后八時過ぎであるから、バス又はタクシーで久喜町、桶川町、鴻巣町のいずれへ出ても同夜中には容易に東京都内に帰ることができること等を訴えて運転すべきことを拒みさえすれば、連は単に運転を拒んだということで、被告人を反抗的不服従者とみなし悪感情を抱いて将来、不利な立場に陥入れてやろうなどと考えるとは到底認められず、むしろ虚心坦懐にその拒否を容け入れたであろうと認められる。もし、連が当時酒気を帯びていることによつて、直ちにその言を容け入れなかつたとしても、その場で被告人が連の徒らな感情を刺激しないように言葉を尽くして説得し、諄々として理否を訴え或は年長者にして連とかつての軍人仲間であつたという江崎瞳生を介して温順に説けば、これまた容易に諒承し、その際でもなお被告人に対して反抗的不服従者とみなして悪感情ないし誤解を抱くとは到底考えられない。また、もしその右のような手段方法に出でず単なる運転拒否によつて連をして一時、被告人を反抗的不服従者と誤解せしめたとしても、単にそのことだけの理由で将来に被告人主張のような不利な事態が生ずるとも思えないし、更に万々一その虞があつたとしても、被告人がその後においてその誤解を解く機会もあるし、それを解くこともでき、運転を拒んだという一事をもつて直ちに将来に被告人に不利な事態の発生が必然とは毛頭認められない。要するに被告人は、当時本件運転を拒絶することができたのに前記認定のように単に、多少否定的態度を示しただけで、それを拒絶しなかつたと認めるのが相当である。

最后に、もし被告人にとつて、連よりの運転命令を拒絶できない立場にあつたとしても、他の平均人的な第三者においても然りであろうか、についてである。これについては、連が運転を命じた当時の状況、連の性格その命令に従うとせば、運転技術の拙劣かつ無免許のまま運転しなければならない時間と距離、菖蒲町から他の交通機関を利用して僅か七、八粁離れた地にある埼玉県久喜町桶川町又は鴻巣町に出て同所より電車を利用すれば、無事安全に同夜中に東京都内に帰ることが容易であること等前記認定の諸事実を綜合して勘案すれば、他の平均人的第三者においては、当然に運転を拒否したであろうことは、常識を有する限り極めて明瞭である。証人江崎瞳生が当公廷で「当時被告人に運転をさせずに他にハイヤーを頼むことができたのにしなかつたのは私の手落である。被告人が運転することについては、心の底では不安に思つていた。私が被告人の立場に立つていたら、連は、どうしても運転しろと場合によつてはいうかも知れないが、それでも運転できないと拒む」旨を述べているし、証人河添正巨も当公廷で「他にハイヤーをやとえばよかつた。連より運転を命ぜられても一番よいのは運転をしないと断ることだと思う」旨を述べていることからも、第三者であれば拒絶することは明白である。ここに多言を用いるを要しない。

要するに、被告人は、判示のように運転資格をもたないで本件自動車を運転したのであるが、これを拒否してこのような違法行為に出でないことを期待する可能性がなかつたとは、到底いい得ないといわなければならない。さすれば、判示運転資格を持たないで運転したことについては、所定の刑事上の責任を当然に負うべきである。

第二に、本件事故の過失原因は、判示無免許運転そのものに基因し、それ自体に過失があるか否か、その責任の有無によつてのみ、本件事故発生の責任を判断さるべきであるとの弁護人の主張について判断する。

しかし、本件事故の発生は、判示注意義務を重大な過失によつて欠きいたことに基因するものであることは既に判文上明白にしているとおりである。本件事故発生についての責任は、判示注意義務欠缺の責任によつて判定すれば十分であつて、他に特別の必要を認めない。無免許運転者ないし運転技術の拙劣者が運転したからといつて判示注意義務を尽していれば本件の如き事故を生ぜしめるものではなく、それらは単なる間接的原因に過ぎない。このような間接的原因によつてのみ本件事故の帰責原因をみなければならないというわけのものではない。従つて、たとえ本件無免許運転につき刑事責任を問い得ないとしても、本件事故の責任まで問い得ないものでは毛頭ない。いわんや前説示のとおり無免許運転について、刑法上の責任を負わなければならない以上、被告人及び弁護人のかかる主張は全く理由ない。

第三に、本件無免許運転と本件過失致死傷の所為とは、想像的競合罪の関係にあるとの主張について判断する。

本件事故は、判示するように、判示注意義務を重大な過失によつて欠いたことによつて直接に生じたものであることは明白であつて無免許運転行為が本件過失行為の欠くべからざる一要因をなしているものではない。判示注意義務を欠き判示被告人の所為に出ずれば、判示致死傷の結果を招くもので、これは、運転資格を有していたと否とにかかわりない。すなわち判示無免許運転行為が本件過失致死傷罪における過失行為の欠くべからざる一原因をなし判示過失行為と無免許運転行為とが競合一体をなして本件事故を生ぜしめたものではない。

従つて、両者間に想像的競合罪の関係ありとの前提に立つ被告人及び弁護人の主張は、全く理由はない。なお、無免許運転行為と過失致死傷の行為との間に、抽象的に観察して、普通に存在する手段と、それより当然に生ずる結果といえる牽連関係もないことは、いうまでもない。

結局、被告人及び弁護人の主張は悉く何等の理由もないと断ぜざるを得ない。

(情状)

被告人の本件事犯に対する情状について説示をする。およそ犯人の刑事責任をどの程度に負わしめるべきかを判定するに際しては、主観的方面と客観的方面から較量斟酌して評価することを要する。本件の場合、被告人の過失行為に至つた経緯過失の度合、過失に対する自覚的反省再犯の可能性、被害者に対する心情等の主観的事情と、本件事故を客観的に観察して同種事犯に与える社会的影響、この種事件に対する社会的関心ないし与論、この種事件に対する刑事政策的な国家的要望等客観的事情を綜合的に勘案して評価せねばならない。このような観点から被告人の情状をみることとする。

先づ主観的側面から考察する。被告人は、既述のように当公廷で連の強い運転命令によつて無免許運転をし率いて本件事故を犯したものであるが、その運転拒否についての期待可能性がなかつたと主張しているが、右運転を命ぜられた当時の状況、運転拒否の期待可能性が十分に存したこと等は前説示のとおりであつて、被告人の右のような主張は、全くの弁解のための弁解に過ぎないと認められるべく、僅かに自ら進んで無免許運転をしたのではないという点において、被告人に有利に斟酌さるべき点に止まる。被告人の過失の度合については、前判示のとおり、飲酒酩酊の上(道路交通取締法第七条第二項第三号にいう酒に酔い正常に運転ができない虞があつたかどうかは訴因となつていないから暫く措く)、被告人自身が自認するように二、三年前に秩父の教育住宅の庭で運転免許をとる目的ではなく好奇心で練習したに過ぎず、交通量の多い一般道路上では一度も練習したこともなく運転に自信もないにかかわらず、雨天暗夜、しかも一回だけしか通つたことのない、二時間半ないし三時間もかかる交通量頻繁な東京都内への国道を、前判示のとおり少くとも四十粁のスピードで運転したばかりでなく、判示のように重大な注意義務を怠つて、避譲している相手方自動車に激突せしめて本件事故を発生せしめたもので、その過失の度合は、まことに重いといわなければならない。被告人は、衝突寸前にブレーキの踏み損じがあつたに過ぎず、それまでは十分に注意義務を尽しており、むしろ相手方自動車に過失があるかのように供述をしているが、前示証拠説明によつても明白であるように、これまた単なる弁解のための強弁に過ぎないと認められる。被告人の本件事故に対する反省については、被告人は当公廷で「私は運転技術もまずいし、相当前から相手の自動車が来るのを認めたので私がもう少し左の方へ寄るか一時停車をすべきであつたのに、それまで一二、三台とすれ違つたとき大丈夫だつたので停車せず、そのまま行つて間近になつて危いと気がついたが、技術の未熟で応急措置を誤つた」旨を供述し、過失のあることを認めながらも、しかも、連が被告人に運転を命じた当時の状況、被告人のとつた態度、連の性格等が前段認定のとおりであるのに、無免許運転行為に対する主張ならばとも角、本件事故発生についても連の命令による運転であるから、「道義上の責任は感ずるが、このために法律上の処罰を受ける必要はない。もし、河添連や同正巨以外の全然関係のない第三者に対して致死傷を与えたとしても、民事上、刑事上の責任負う必要はなく、単に道義上の責任は負う」旨を述べていることから、その心情の奈辺にあるかを疑わざるを得ない。法律上の責任の有無は、素人たる被告人には分らぬので、もし、ありとすれば誠実にこれに従うべく、もし、それがなくても道義的に責任を覚えるというのなら格別然らずして全く道義上の問題としてのみ考えていることは、被告人の主張、態度の全趣旨から看取せられる。もし、このような被告人の考方によれば、過失により被害者に致死傷の結果を齎らしても、上司の命令によつて運転した以上、それは拒絶できるときであつても加害者側の単なる道義上の問題として、換言すれば、義務観念にもとづくのではなく恩恵的な同情心にもとづき、いわば「おめぐみ」として被害弁償をなせば足るということに帰する。これは、まことに驚くべき暴論であり、謙虚な反省心の豪末も存しないことに外ならない。ただ本件被害者に対しては、本件起訴の昭和三四年五月九日後の同年九月二日に至つて、河添松枝(連の妻)河添正巨との間に被害弁償として、金六〇万円を一〇ヶ年間毎月五、〇〇〇円づつ分割して支払うとの示談をなし、昭和三五年一月分まで誠実に履行しており、本件被害者にも謝り、連の分も働くといつて精励していること被害者側も被告人に寛大な裁判を願つていること、相手方自動車の運転者星徳一は本件事故による損害は被告人より弁償は受けていないが示談をしていることは被告人の供述、証人星徳一証人河添正巨の各証言、被告人提出の各領収書の存在等により認められ、この点は被告人のために有利に考慮されなければならないが、被告人が連より本件運転を命じられたときの状況は当裁判所が認定したとおりの状況であるのに、被告人はそのときに感じた心情であるとして当公廷で既述のように強く弁疏しているところから、右示談も被告人が現に在職勤務している有限会社鷹羽製作所における地位身分に対する利己的保身的考慮に出でたか或は本裁判において自己に有利に導く手段として作為的になされたものと疑う余地が存し、そこまで推断するのは甚だ酷としても、そのような示談をし義務を履行することは、いわば当然の事に属するので、このために特段に利益に斟酌さるべきこととは思われない。ただ、被告人の再犯可能性については、被告人は当公廷で今後誰に命ぜられても二度とこのようなことは絶対にしないと誓つているので、凡らく再犯の虞はないと信じ、この点は被告人の有利に考えて然るべきであろう。

次に客観的側面から考察する。当裁判所の管轄区域は東京都に近く交通量も致つて頻繁であるため、自動車運行に伴う過失致死傷の件数も逐年激増の一途をたどり、当裁判所においては昭和三二年度件数のほぼ二倍に近くに累増していることは顕著なことであり、過失ある運転者の自動車は、正に「走れる兇器」と化し、過失も咎めらるべき原因もない他人の貴い生命身体が運転者の過失によつて数多く喪なわれてきていることは、まことに寒心に堪えない。過失ある自動車運転者に対する刑事責任については社会的与論からみても、刑事政策的要望から考えても、道路交通取締法規の立法的傾向に照らしても、何れも厳罰をもつて臨むべきであるとしていることは、公知のことに属する。本件認定の如き事実下にある被告人については一罰百戒、もつて他の運転者をして他山の石となさしめるよう考慮を払わなければならない。

以上のように、主観、客観の二方面から綜合して考慮するときは、被告人を主文第一項掲記の刑に処するのが相当であり、その執行を猶予するに値する情状は少しも存しない。

(法令の適用)

一、被告人の判示運転免許を受けず運転資格を持たないで運転した所為は道路交通取締法第七条第一項第二項第二号、第九条第一項、第二八条第一号、罰金等臨時措置法第二条に判示重過失致死傷の所為は刑法第二一一条後段罰金等臨時措置法第二条、第三条第一項に該当するところ、判示致死の所為と判示致傷の所為とは一個の行為にして二個の罪名に触れるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条を適用し、その重き重過失致死罪の刑に従うが、右所定刑中、判示道路交通取締法違反の罪については懲役刑を判示重過失致死の罪については禁錮刑を選択し、以上各犯罪は刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるから、同法第四七条、第一〇条に則りその最も重き判示重過失致死の罪につき定めた刑に併合罪の加重をし、その所定刑期範内において主文第一項掲記の刑に処する。

一、なお、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 赤塔政夫)

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